2005年 08月 09日
2004年8月30日 新潮社刊 自殺した若い女性にかかわりあった六人、弟、その恋人、母、再婚した父、男ともだち、ストーカーだった男、などがそれぞれの視点から死者とのかかわりを語り、スパイラル状に自殺に至る経緯が明かされていきます。 神さまのリーラ。気晴らしとか、楽しみとか、たいていは「遊戯」って訳されるんだけど、 私たちが生きているのもリーラ。死ぬのもリーラ。 私が今ここでこうして悩んでいるのも、神さまの掌の上で戯れているようなものかもとしれないと思いました。自然の流れに身を任せれば、全てが収まる所に収まるのかもしれません。 いつもどうにもならないことで思い悩んでばかりいるので、もっと「のほほんとしなさい」と言われます。きっと、物事はなるようにしかならない、のでしょう。 落ちたまぶい(生きた体から抜けた魂)が、落ちて潜りながらあんまり良くない信号送るのよ。だから具合が悪くなる。リストカットする人なんかみんな半分くらいは魂が抜けてるのよ。 落ちた魂がまぶい。それは霊ではないの。神さまは霊ではないの。キリストとか弘法大師は霊よ。神さまっていうのは、地球のエネルギーそのものだと思うの。いわば自然体のエネルギー。 ほんとはもっと、「なんとなく」でうまくいくんじゃないかなぁ。植物が花の受粉みたいな大事業をミツバチとか蝶々に頼ってるってのも素敵だし、そんな大事なことを、いい加減なご縁に任せられるのも、リーラだよね。 人生って、きっともっと楽しいはずなんだと思うなぁ。 #
by t_hollyhock
| 2005-08-09 12:17
| その他
2005年 08月 06日
2002年3月10日 集英社刊 10編収録の書き下ろし短編集 いろんな生活、いろんな人生、いろんな人々。 とりどりで、不可解で。 愛だけには躊躇わない あるいは躊躇わなかった 女たちの物語になりました。 (あとがきより) 幸せの形って人それぞれ。 幸せか不幸かなんて、他人には決められない。 愛する人とただ一緒に居る、そのことの幸せさをかみしめました。 泳ぐのに、安全でも適切でもありません It's not safe or suitable for swim. ふいに、いつかアメリカの田舎町を旅行していて見た、川べりの看板を思い出した。遊泳禁止の看板だろうが、正確には、それは禁止ではない。泳ぐのに、安全でも適切でもありません。 私たちみんなの人生に、立てておいてほしい看板ではないか。 うんお腹をすかせてきてね 「全部肉体になるといいな。裕也と食べるものは、全部きちんと肉体にしたい」 裕也があたしをまっすぐに見て、その目が鹿みたいに澄んでせつなげだったので、あたしには、あたしの言葉が裕也に通じたのだとわかる。 わずらわしいことは何も存在しなくなる。 あたしたち身体全部を使って食事をする。おなじもので肉体をつくり、それをたしかめるみたいに時々互いの身体に触れる。あたしたちはますます動物になる。 サマーブランケット 海辺の家は、私そのものみたいだ。窓も戸もあけっぱなしで、砂だらけで、ただじっと建っている。壊れるときまで、何年も何年も。 りんご追分 どうしてだかわからない。あたしの心臓が泣き始めた。号泣、と言ってもいいような泣き方だった。「りんご追分」がしみてしみて、早朝の公園で誰かが練習しているその「りんご追分」に、あたしは全身で捕まってしまった。 それは現実の音だった。 『ねじ』も勲さんも美樹もあの男も、架空のことみたいに遠かった。あたしの過去も記憶も智也とのたのしかった日々も、もうこの世のどこにもないものだった。 そこにあるのはただ公園と、朝と、「りんご追分」だけだった。清潔な空気と、それをふるわせるトランペットの音だけだった。 あたしの心臓は架空のもののために泣いていた。架空のものたちと、現実の智也と、現実のあたしのために。 うしなう 結局のところ、わたしたちはみんな喪失の過程を生きているのだ。貪欲に得ては、次々にうしなう。 ジェーン 「紘子は僕の女神だ」 向坂さんはときどきそんなことを言った。 「紘子のためなら、僕は地獄におちてもいい」 と。でも無論、私は地獄になどいきたくなかった。 向坂さんの長い長い愛撫は、私を官能ではなく、憐憫でみたした。 私は犬を飼っているみたいな気持になった。かあいい、かあいそうな、年をとってしまった犬。 たぶんなにもかもんが、すこしずつ狂い始めていたのだ。 動物園 「あんたたちのやりかたは、あたしにはわからない。とっても変だよ」 母はそう言うが、でも、人は誰だってどういうふうにかしてやっていかなくてはならないのではないか。 犬小屋 「ね、ここに来るとき庭のチューリップをみた?満開なの。チューリップってばかみたいな花ね。かわいそうになる」 だってほら、と言って郁子さんは可笑しそうにくつくつ笑う。 「日があたっているからってあんなにそっくり返って、くるったみたいに開ききちゃって」 濃く残るスパイスの匂いとゴロワーズの匂い、台所でお湯の沸く音。 「男の人が犬小屋で寝るからって、そんなに気を揉むことはないわ。チューリップみたいになっちゃうわよ。日なんてすぐに翳っちゃうんだから」 そう言って、郁子さんはまたくつくつ笑った。 十日間の死 愛しい人が、もうすぐここにやってくる #
by t_hollyhock
| 2005-08-06 17:51
| 江國香織
2005年 08月 03日
2005年4月10日 角川書店刊 初出 野性現代 2003年12月~2004年8月号 2004年7・8月号 2004年11月号~2005年4月号 ドラマ化されたのを見て興味を持った作品です。 少女の語り口が新鮮で、今までの柳美里さんの作品とは一風変わったものでした。 少女の真っ直ぐな強さ、信じる心を羨ましく思いました。 ハッピーエンドではないですが、温かいものが残る作品でした。 目に見えるものがこの世の全てではないというメッセージが伝わってきました。 わたし、ナイショ話って好きじゃない。お父さんはいつも、声に出して話すんなら、相手に伝わるようにはっきり話しなさいっていうし、ふたりだけの秘密だったらメールでやりとりしたほうがいいじゃん?だって声に出した時点で秘密じゃなくなっちゃうよ。ぜったいヒミツだよ、だれにもいっちゃダメだよってどんどん広がっていくんだもん、特に女の子の口は軽い軽い、チョー軽い。 わたし、車にはねられて死にかけた猫を見て、気持悪いって通り過ぎるひとより、かわいそうって通り過ぎるひとのほうがぜったい許せない。だって、関わるか、関わらないかでしょう?(中略)どっちもできないんなら、黙って通り過ぎるしかない。すべてに立ち止まることなんかできない。すべてに関わることなんかできない。でも、それは、とっても哀しいことだよ。かわいそうだなんていって、いいひとぶるヤツサイテー! ねぇ、お父さん、そういってたよね?かわいそうって言葉にはその対象に関わる覚悟も意志も感じられないって・・・ 少女は青空を見あげた。 目に映るすべてのものが懐かしさを湛えて輝き、一秒一秒脈打ちはじめた。 少女は立っていた。 ここに在るものと、ここに無いもののただなかに、 知ることと、知らないことのただなかに、 少女はたったひとりで立っていた。 #
by t_hollyhock
| 2005-08-03 21:08
| 柳美里
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