言葉をさがして

thollyhock.exblog.jp
ブログトップ
2005年 08月 20日

風味絶佳 山田詠美

そこにあなたがいてくれるだけでいい



あんまりがんばるなよ、と紘は言った。おれの役に立ちたいなんて思わなくっていい。仕事を終えて、事務所の風呂場でシャワーを浴びている時、ああ、家では美々ちゃんが待っていてるんだなぁって思う。生きものが家にいるって、ほんと、なごむよ、だって!? 私って生きものなの? と憮然とすると、そうだ、と笑う。そして、耳許に口を付けて囁く。生きてて、一緒に飯食って、セックスして、寝る。それで充分。猫にも犬にも小鳥にも他の女にも出来ないことを、美々ちゃんは、おれにしているよ。
[PR]

# by t_hollyhock | 2005-08-20 18:32 | 山田詠美
2005年 08月 11日

自殺 柳美里

1995年6月 河出書房新車より」出版の『柳美里の「自殺」に大幅加筆
1999年12月刊 文春文庫

世間を騒がせた著名人の死や、いじめによる死。
多くの具体例と自らの自殺未遂体験を通じ、作家・柳美里が高校生に問う”生きる意味”

自殺者は過去の囚われびとになっていると著者はいいます。未来に希望が持てなくて、死ぬことを選択する人も、不安の種は未来にではなく、過去の自分にあるのかもしれません。過去の自分を振り返って見て、このまま生きていても何ら良いことがないと思う。ですが、過去に囚われることをやめたら、未来の自分はこれまでの自分とは違うのだと、思えるのかもしれません。過去が、現在が、今後もずっと続く訳ではありませんから。



しかし、人間は現実と日常を拒み続けることはできません。

日常というものは、ある種の人間にとっては凶器のように自分を脅迫するものなんですね。私は日常というのは、非情なものだと思います。

言うまでもなくあらゆる価値は幻想に過ぎませんが、その幻想が壊れると生の根拠そのものが失われると思い込むのです。また価値は欲望によって支えられていますから、ただ生きているだけでは堪えられないほどの強い欲望を持っている人だと言えるでしょう。

ひとはその人生において幾度かの結末を迎え、その度に何事かを葬らなければいけません。自殺者は過去を埋葬できずに、過去にこころを奪われ、自滅した人なのかもしれません。自殺を試みる人は過去の何事かの囚われ人になっていると言えるのでしょうか。

私は死は彼岸にでなく、この世の内側にあると考えています。死が月世界より遠いところに在るはずがありません。死はひとの内部で生と共存し、ひとは生の道を歩きながら、自分でも気づかないうちに死の曲がり角を折れているのです。いずれにしろ、私はこう考えます。その人の生が美しければ、死も美しい。
[PR]

# by t_hollyhock | 2005-08-11 09:57 | 柳美里
2005年 08月 09日

ウエハースの椅子 江國香織

2001年2月8日 角川春樹事務所刊
「俳句現代」1999年8月号から2000年9月号に連載されたもの

ウエハースの椅子は、私にとって幸福のイメージそのものだ。
目の前にあるのに-そして、椅子のくせに-、決して腰をおろせない。


この本はもう何年も前に一度読んだことがあります。その時とても感慨にふけった記憶があります。でも細部は忘れていたので、懐かしい気持で読みました。読み出してすぐに後悔しました。どうしてこの人は不倫の話ばかり書くのだろうと。
私は決して抜け出せることのできない暗闇の中にいるような気持になりました。物語の中で度々出てくる表現、「閉じ込められてしまった」。まさにそれです。終わりの無い果てしない物語。終わらせる為には死を選ぶしかない。それ程に追い詰められ、でも彼を愛している。この物語の主人公は幸福になることを諦めてしまっています。ウエハースの椅子だと諦観しています。私は幸福になることを諦めることができません。たとえウエハースの椅子だとしても、形あるものとして確かにそこに存在しているのです。



「道があると思うことがそもそも錯覚なのよ。人生は荒野なんだから」
「ヒースクリフ?」 妹は茶化す。
「そうよ。嵐が丘」
妹はそれについてしばらく考え、でも、と言った。
「でも、けもの道はあるのよ。みんなが通って自然についた、すこし歩きやすい道がちゃんとあるのよ」
私はつい微笑んでしまう。
「そうね」 と、こたえた。
でも、せっかくけものに生まれたのなら、自分でけもの道をつけたいと私は思う。

恋人は言う。
「ここにいなさい。ここ以上に正しい場所はないんだから。思いだして。逃げようとしないで」
私は、自分がそれを信じたいのか、抗いたいのか、わからなくて混乱する。恋人の肩は、芳しく、揺るぎがないように思える。きちんとついた筋肉の下に、美しい骨があることがわかる肩だ。
私は不安定になっているのだ、と、恋人は言う。そして背中をやさしくなでてくれながら、二人とも、もうここから逃げられないんだから、と、言う。
私はあやうくそれを信じそうになる。

私はまたここに帰ってきてしまった。私のいる場所に。いてもいいと言ってもらえる場所に。
[PR]

# by t_hollyhock | 2005-08-09 20:56 | 江國香織