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カテゴリ:江國香織( 3 )


2005年 08月 09日

ウエハースの椅子 江國香織

2001年2月8日 角川春樹事務所刊
「俳句現代」1999年8月号から2000年9月号に連載されたもの

ウエハースの椅子は、私にとって幸福のイメージそのものだ。
目の前にあるのに-そして、椅子のくせに-、決して腰をおろせない。


この本はもう何年も前に一度読んだことがあります。その時とても感慨にふけった記憶があります。でも細部は忘れていたので、懐かしい気持で読みました。読み出してすぐに後悔しました。どうしてこの人は不倫の話ばかり書くのだろうと。
私は決して抜け出せることのできない暗闇の中にいるような気持になりました。物語の中で度々出てくる表現、「閉じ込められてしまった」。まさにそれです。終わりの無い果てしない物語。終わらせる為には死を選ぶしかない。それ程に追い詰められ、でも彼を愛している。この物語の主人公は幸福になることを諦めてしまっています。ウエハースの椅子だと諦観しています。私は幸福になることを諦めることができません。たとえウエハースの椅子だとしても、形あるものとして確かにそこに存在しているのです。



「道があると思うことがそもそも錯覚なのよ。人生は荒野なんだから」
「ヒースクリフ?」 妹は茶化す。
「そうよ。嵐が丘」
妹はそれについてしばらく考え、でも、と言った。
「でも、けもの道はあるのよ。みんなが通って自然についた、すこし歩きやすい道がちゃんとあるのよ」
私はつい微笑んでしまう。
「そうね」 と、こたえた。
でも、せっかくけものに生まれたのなら、自分でけもの道をつけたいと私は思う。

恋人は言う。
「ここにいなさい。ここ以上に正しい場所はないんだから。思いだして。逃げようとしないで」
私は、自分がそれを信じたいのか、抗いたいのか、わからなくて混乱する。恋人の肩は、芳しく、揺るぎがないように思える。きちんとついた筋肉の下に、美しい骨があることがわかる肩だ。
私は不安定になっているのだ、と、恋人は言う。そして背中をやさしくなでてくれながら、二人とも、もうここから逃げられないんだから、と、言う。
私はあやうくそれを信じそうになる。

私はまたここに帰ってきてしまった。私のいる場所に。いてもいいと言ってもらえる場所に。
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by t_hollyhock | 2005-08-09 20:56 | 江國香織
2005年 08月 06日

泳ぐのに、安全でも適切でもありません 江國香織

2002年3月10日 集英社刊
10編収録の書き下ろし短編集

いろんな生活、いろんな人生、いろんな人々。
とりどりで、不可解で。
愛だけには躊躇わない あるいは躊躇わなかった 女たちの物語になりました。
(あとがきより)

幸せの形って人それぞれ。
幸せか不幸かなんて、他人には決められない。
愛する人とただ一緒に居る、そのことの幸せさをかみしめました。



泳ぐのに、安全でも適切でもありません 
It's not safe or suitable for swim.
ふいに、いつかアメリカの田舎町を旅行していて見た、川べりの看板を思い出した。遊泳禁止の看板だろうが、正確には、それは禁止ではない。泳ぐのに、安全でも適切でもありません。
私たちみんなの人生に、立てておいてほしい看板ではないか。

うんお腹をすかせてきてね
「全部肉体になるといいな。裕也と食べるものは、全部きちんと肉体にしたい」
裕也があたしをまっすぐに見て、その目が鹿みたいに澄んでせつなげだったので、あたしには、あたしの言葉が裕也に通じたのだとわかる。
わずらわしいことは何も存在しなくなる。
あたしたち身体全部を使って食事をする。おなじもので肉体をつくり、それをたしかめるみたいに時々互いの身体に触れる。あたしたちはますます動物になる。

サマーブランケット
海辺の家は、私そのものみたいだ。窓も戸もあけっぱなしで、砂だらけで、ただじっと建っている。壊れるときまで、何年も何年も。

りんご追分
どうしてだかわからない。あたしの心臓が泣き始めた。号泣、と言ってもいいような泣き方だった。「りんご追分」がしみてしみて、早朝の公園で誰かが練習しているその「りんご追分」に、あたしは全身で捕まってしまった。
それは現実の音だった。
『ねじ』も勲さんも美樹もあの男も、架空のことみたいに遠かった。あたしの過去も記憶も智也とのたのしかった日々も、もうこの世のどこにもないものだった。
そこにあるのはただ公園と、朝と、「りんご追分」だけだった。清潔な空気と、それをふるわせるトランペットの音だけだった。
あたしの心臓は架空のもののために泣いていた。架空のものたちと、現実の智也と、現実のあたしのために。

うしなう
結局のところ、わたしたちはみんな喪失の過程を生きているのだ。貪欲に得ては、次々にうしなう。

ジェーン
「紘子は僕の女神だ」
向坂さんはときどきそんなことを言った。
「紘子のためなら、僕は地獄におちてもいい」
と。でも無論、私は地獄になどいきたくなかった。
向坂さんの長い長い愛撫は、私を官能ではなく、憐憫でみたした。
私は犬を飼っているみたいな気持になった。かあいい、かあいそうな、年をとってしまった犬。
たぶんなにもかもんが、すこしずつ狂い始めていたのだ。

動物園
「あんたたちのやりかたは、あたしにはわからない。とっても変だよ」
母はそう言うが、でも、人は誰だってどういうふうにかしてやっていかなくてはならないのではないか。

犬小屋
「ね、ここに来るとき庭のチューリップをみた?満開なの。チューリップってばかみたいな花ね。かわいそうになる」
だってほら、と言って郁子さんは可笑しそうにくつくつ笑う。
「日があたっているからってあんなにそっくり返って、くるったみたいに開ききちゃって」
濃く残るスパイスの匂いとゴロワーズの匂い、台所でお湯の沸く音。
「男の人が犬小屋で寝るからって、そんなに気を揉むことはないわ。チューリップみたいになっちゃうわよ。日なんてすぐに翳っちゃうんだから」
そう言って、郁子さんはまたくつくつ笑った。

十日間の死

愛しい人が、もうすぐここにやってくる
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by t_hollyhock | 2005-08-06 17:51 | 江國香織
2005年 07月 31日

『赤い長靴』 江國香織

2005年1月15日 文藝春秋刊
初出紙誌
「すばる」2001年1月号
「東京新聞」2001年5月26日夕刊
「文學界」2003年7月号~2004年6月号

夫婦の日常を描いた連作作品集
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ほんとうのことを知りたくなったり言いたくなったり言わせたくなったりするのは、おそらく子供のころからの、私の悪癖なのだろう。食卓を整えながら日和子はそう考える。頑なとしてほんとうのことを言わないというのは、それでは逍三の美点だ。

いろんな音、いろんな匂い。逍ちゃんが帰ると、ここは俄然賑やかになる。それは嬉しいことだと日和子は思う。
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by t_hollyhock | 2005-07-31 17:54 | 江國香織